- 院長 三橋 成行
大学6年間はラグビーづけの日々…
医師国家試験に合格できなければ、新日鉄釜石ラグビー部に…
私は、厚木小学校では器械体操部、厚木中学校ではバスケットボール部と写真部、また、厚木高校では演劇部に所属していた経験があります。
小学校のころから足が速く厚木愛甲地区連合運動会では400メートルのリレーでスターターを任されることもあった私は、高校生になるとスポーツテストで100メートル走を12秒3で走り抜けたこともあります。
スポーツばかりをやっていた印象ですが無事弘前大学に進学することができました。
当時、弘前大学附属病院長はラグビー部長も兼任しており、新入学生のスポーツ記録を把握していると噂でした。
しかし、その噂は単なる噂ではなく、昔から足の早かった私の記録が病院長の目に止まりラグビー部に勧誘されるに至ったところをみると、先の話は本当だということがわかります。
その後は6年間ラグビー浸けの毎日を送っていましたが、卒業間近になるにつれ、このままラグビーの道に進み新日鉄釜石ラグビー部に入部するか、もしくは医師国家試験を受けて医師を目指すか悩むようになりました。
そんな時、横浜にラグビー外傷の名医がいるとの風のうわさを聞きあの手この手で会おうとしました。それが横浜市立港湾病院の高澤晴夫先生で私が整形外科医になったきっかけです。
- 藤沢市民病院にて
色々な病院での経験
足が悪い患者さんが歩けるように-
昭和58年3月弘前大学医学部を卒業後に、同年6月横浜市立市民病院の研修医として働きだしました。
その後は横浜市立大学医学部整形外科に勤務、大口東総合病院、横浜市立港湾病院、さらに七沢リハビリテーション病院脳血管センターと色々な病院で腕を磨いてきました。
整形外科部長として長年勤めさせて頂いた藤沢市民病院では、ある時、研修医のひとりから母親が足が悪くなってしまい歩くのも一苦労という話を聞きました。
その方は足柄にお住まいの方で畑仕事が日課にされている方でした。
足が悪くなってしまったせいで日課の畑仕事も出来ず家にこもり気味になってしまい徐々に暗く落ち込むようになってしまっていたようです。
そんな相談を受けた私は今までの経験から手術による治療が可能と判断し手術をいたしました。
今では歩けるようになったばかりではなく、また以前のように畑仕事ができるにまで回復し元気に過ごしておられるようです。今後もこれまでの経験をもとに一人でも多くの方の手助けが出来たらと思っております。
- パナソニックワイルドナイツの練習風景
今までの経験を活かして、厚木の地で家族一丸となって地域貢献をしたい
大学時代には様々な大きな学会の事務局も担当し最後には医局長も仰せつかりました。横浜市立大学の整形外科講師から平成15年4月に藤沢市民病院整形外科部長とし、現在に至ります藤沢には13年いたことになります。
その間横浜市大には月に2回ほど5年生と6年生の臨床講義に行かせていただきました。藤沢にいるうちに三洋電機ラグビー部は三洋電機ワイルドナイツとなりその後パナソニックワイルドナイツとして現在に至ります。
今後は今までの経験を活かして厚木の地で家族一丸となり診療して地域に貢献をしたいと思います。
妻は助産師で長女は理学療法士、長男は整形外科医です。この度、アイン薬局と縁がありお手伝い頂くに至りました。また、飯田眼科とのじ脳神経外科しびれクリニックと一緒になって厚木の町を盛り立てていこうと思っております。
厚木の皆様どうぞよろしくお願いします。